しばらく実家の山田にも帰れず、牡蠣ネタも尽きかけているので、自分の仕事ネタで長々と語りたいと思います。仕事柄、守秘義務があるのでアバウトな表現が多いかもしれないので飽きずに最後まで見てください。
平成元年3月に新宿の税理士ビル内の事務所に就職出来(当時22歳)、心も身体も思いっきり夢と希望でパンパンでした(身体は新聞配達で鍛えてたのでこのときはまだスリムでしたが・・・)。毎日最終電車で帰る日々でしたが、若造だったので仕事のペースも能力も、今の自分と比べたら勢いと体力だけだったなと反省したくなるほどお子ちゃまで、一人前の会計人として育てていただいたのはO所長のおかげでした。もちろん私の教育係で大先輩のM氏の叱咤激励が無かったら今の自分は無かったでしょう。毎日怒られながらもなんとかしがみついて三ヶ月が過ぎ、試用期間を終えて正採用していただき、岩手に帰るためにやめるまでの五年間会計事務所の仕事をゼロから教えていただきました。時代が違うこともありますが、当時はバブル真っ盛りで、初任給は税込み15万でのスタートでしたが、お昼も晩御飯も関与先や事務所で戴くことが多く、(ほぼ毎日でした)毎月5万円の貯金が出来たくらい周りの方達にお世話になりました。4月に東京出張の折、午前に時間があったので西新宿に伺って久しぶりにO所長に挨拶でき、感謝の気持ちを少しは伝えられたのかなと思います。10年ぶりくらいにお会いしましたが、辞めた人間が挨拶に来てくれるのが何より嬉しいんだと言ってくれたのが、私もうれしかったし、やめるときに『せっかくここまで育てたのに辞められるのは痛い』と言われ、申し訳なくも岩手に帰ってきたことを考えると、新宿での5年間が自分の基礎なんだと思いました。本当に毎日のように終電で帰り、寝るのはAM3時頃。起床が7時でほとんど寝れなかったので、休みの日はお昼くらいまで寝てるのが当たり前になってましたね。当時の彼女には何度となく待ち合わせ時間に遅れてしまい本当にごめんなさい。最後のほうは俺の部屋が待ち合わせ場所になるくらい起きれませんでしたね。
そんな感じで毎日がとても忙しく、仕事が切れることも無く、ただただ伝票と帳簿と決算に明け暮れていた5年間でした。
楽しかったことは、関与先に特殊な業種があり、岩手ではまずお目にかかれないCMの撮影スタジオ(高田JのGサンの護持から男はここで撮影されてました)や、サッカーのワールドカップ(当時だとフランスだったかな?)のグラウンドサイドの広告を扱っている広告代理店、お坊さん(高野山)で鍼灸師さん(らも巣もお客さんでしたね)や、仕事の絡みで同い年のシンクロの女王とも会ったことがありますし、世界的に有名というより知らない人はいないデザイナーさんたちも、とあるデザイナーの古稀のお祝いパーティーで逢いました。まあ、私の名前の字と同じ字のとても大きい方や、姉妹でデザイナーの方、99のゴチに出てるMさんのご家族。その際に女優さんたちは会ったというよりお見かけしましたよ。司Y子さん。綺麗の一言です。トップ女優は違うな~と25歳くらいの若造が感心してました。
そして忘れてはならないのが世界的に有名なアルピニストのH氏。残念ながらウルタルⅡで雪崩に遭遇し、亡くなられてしまいました。彼とは、この登山に出発する直前に彼の会社の事務所でお会いし、普段は寡黙でどちらかというとあまり話したことが無かったんですが、一時間ほどウルタルⅡへの踏破について話されて、強く誓っておりました。それが最後の会話になってしまいました。とても純粋で、笑顔がとても優しく、人を疑うことを知らない人だったと記憶しています。故人の冥福をお祈りすると共に、毎年開催されているH川CUPにいつか参加したいと考えております。子供の頃にTVで見たカネタカカオルと行く世界旅行に彼は出ていたので、その話をすると、はにかみながらも嬉しそうにTVでのことを話してくれました。H氏の相続が私の最初の相続税申告でしたが、初めてのことというよりも普段の法人税や所得税とは違い、非常にデリケートで故人やその家族の深いところまで知ってしまう、とても厳しくも悲しいほど無口にならざるを得ない仕事でしたね。
正直、相続は嫌いです。丸く収まっていただければいいのですが、大抵は揉めます。悲しいほど人間の本性が見え隠れし、切っても切れないはずの血縁なのに、骨肉の争いになってしまうことが多かったでした。とある会社の社長はうちのオヤジと同い年で、当時52歳くらいでしたか、透析中に脳卒中で亡くなられ、その後はお母さんと私と同い年の長男との争いになりつつありましたが、長男と二人で話し、お母さんを立てることで納得してもらいました。私が考える相続とは、『故人の意思を尊重し、繋いで行く事』だと考えます。日本的過ぎるくらいの古い考えだとは思いますが、想いを続ける・一子相伝的な考えからすれば、誰かが『家』(これは生きている人間だけではなく、ご先祖を含めて考えなければいけないとおもいます)を次の世代に繋げて行く行為なんだと。
相続税って、人生の総決算的な清算であり、無償で財産を取得する相続人は『濡れ手に粟』だから課税します。という感じの課税理屈みたい。ここで一息入れて冷静に考えてみると、親(もしくはご先祖様)は汗水たらして稼ぎ、事業に成功し一代で財を成したとしましょう。当然、法人税なり所得税なりを支払い、残ったお金で財を蓄積していきます。それに人生最後に(本人が知らないところで)清算的に相続税として徴収される。財産家は大変ですね。普通に商売してたら皆さん対象になりますから節税というより、相続は納税資金の対策が相続税対策です。多額の納税額に苦しまないためにもシッカリと対策を考えましょう。あとは相続税の無い国に早々に移住することをお勧めします。
日本って本当に金持ち優遇税制なんだよね。特に法人税と所得税を考えるとわかります。ここ数年は増税といえば簡単に消費税UPが騒がれますが、同じくして『法人税所得税は欧米先進国と比べて低すぎる』なんて聴きませんか?『税率だけ』を見れば確かに低いんですね、本当のところ。消費税も格段に低いんです。でも、欧米先進国の税率の高さばかりを強調して増税しようとする政権政党には、その反面、日本では考えられない程手厚い高福祉があるということを日本国民に伝えなければいけないと想いますが、どう考えます? 医療費・学費(公立)タダ。公共交通機関もタダ。だけど税率50%・消費税30%とやたら高い!!!!でも、食費(食材等)等の生活関連商品は消費税が掛からない。これなら国民も納得できるのでは? 医療費の心配が無ければ・学費がタダなら・公共交通機関がタダ? 生活費がどれだけ抑えられ、かつ、子育てに対して手厚い保護と環境が整っているから、出生率も高い。こんな日本になってくれたら安心して暮らせる世の中になると思いませんか? ここまで言っておきながらですけど、そうしたほうがいいとは思っても、簡単に制度移行できないのも現実としてある、とういことも知っておかなければいけません。
公立なら大学もタダだから学びたい学生はお金のことを考えず、勉強に集中できるし、入ることに頑張るよりも学ぶことに頑張れるのではないかなと考えたりもしてます。入学試験も基礎学力程度の試験なら、将来の逸材(突出した才能)も発掘できるほどになるかもしれませんね。 実際、この地球上にはそんな国もあるんです。生活に対する不安を抱えながら生きていくのは政治が悪いと言われても言い訳できないでしょう。ただ、そのことだけを声高に言っても、自分次第で将来を自由に切り開ける日本であることも忘れてはいけませんね。『自由』って言葉はいい響きだけど、『自由』=『責任』であることも自覚しないといけない。世の中、権利と義務があり、自由と責任もあり、高収入=高リスクであることも押さえておいて欲しい。
新しく会社を設立してそこの取締役になる=高い報酬がもらえる=高リスクと責任が発生。世の中うまい話は無いのさ。収入と地位(ミエか?)との引き換えに重い責任とリスクが付きまとい、寝れない日々を過す羽目になる。社長・取締役は社会にも従業員にたいして重い責任を負うことで、高い収入が与えられるだけで、自由に使えることにはならないから、現実はミエをどこまで張れるか? 程度かな。 自殺した社長はいなかったけど、しようとした人はいたね。それくらい厳しいしごとですね。役員は成りたくて成るもんじゃあないね。できるならなりたくない。二年も断り続けてきたけど結局、信用できる人が俺だけだって言われたら、成るしかない。 苦渋の決断。 経営者なら判っていただけますかね? 経営の難しさを考えると自分が本業を持って、役員としての責務をこなせるのか心配です。
今ね、仕事に対して自分なりには頑張っているつもりですが、どこか抜けています。凡ミスが多い。原因は判ってるけど心神喪失状態だから何をどう?ってことじゃないんだろうけど、長距離(特に高速)出張のときは気をつけないと自損で死亡事故を起こしても不思議じゃないくらいボ~っとしてる。 まだ今は死にたくはないのでもう少し生きててもいいかな? やりたいこともあるんでね。
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